IMG_20191224_015617097_1_1師走に入ってすぐ母が不調になり入院となった。程なくして別の大きな病院に転院が言い渡された。始め急変など予測もせず一週目に一日さぼって見に行かなかった。翌日母は、「一時でん寄ってくるっと安心する。」といった。私はそんな要求をする母が妙だとは思ったが、分かったと適当な返事をして帰った。その後に思い起こせば、「後ば頼んどくね」とも言っていた。この二つの言葉が母の最後の言葉となった。今、昼夜交代で再帰国してくれた妹と母の枕辺についている。意識を無くして4週が経つ。医師は脳梗塞の2度目の発作になった時気付いて急遽転院、既に昏睡状態で再帰は見込めないと宣告を受けた。もう耳元で懺悔のような言葉を一方的に投げかけるだけの日々だ。
肉体が微かな生体反応を示しモニターに波形を表示する。思い出や慈しみに涙し、いつかくる時を、恐れと共に手放そうと言う思いで過ごしている。
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齢86、良く生きてくれた母、働き者で家族を支えてきた辛抱強い女性だ。もう休んでいいよって、多分この昏睡状態は休み損ねた時間を今取り戻してるんだと。感謝してるの一言も伝えぬまま、寝息だけが口元を膨らます。 
余力があったら、87歳の誕生日が年明けるとすぐだ。
親しかった近所のkさんが84歳でつい数日前に逝かれた。連れ立って同じ船出になるのかとも思う。

長い間元気に居てくれてありがとう、お母さん。
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写真2は母の為のクリスマス挿花、家の庭から採取。それぞれに思い出がある。
月桂樹の枝は、テレビで見た葉っぱ産業のお年寄りの活躍に習って、近くの物産館に出荷したことがある。ビニール袋に30枚くらいも詰めた格安のローリエが売れたってと再注文に喜んでいた。
スウェーデンに娘と孫の顔見たさに言葉も出来ないのに独りで会いに出掛けたりもしていた。

いつかくるその時、心構えって?
まずは明日87歳の誕生日を祝ってあげようと思う。
 
写真1は病室からの朝焼け、もう母が自分の目で見ることはない。写真3と4 :妹作 母の肖像と母に食べさせたかった田舎料理
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yuzu20191119今回のHAGAカルチャーレッスンは11月中最終週に取ります。

28-30 木 土曜 

 ゆず胡椒手作り と林檎のお菓子 3000円程度
12月初めに希望の方もあります。別途連絡で参加結構です。
writh20191119

12月はXmas のwild  flowersアレンジメント(鉢入れのタイプ3000円)とテーブルコーディネート4000円程度  、中旬14ー16ー20土 月金の予定。上旬スタートも考えています。ご希望を寄せてください!

連絡 090 2517 1105 

メール:haga91609@yahoo.co.jp

20191103nr10月半ばからスウェーデンの白樺(妹)が里帰りしていたので、居る間中つるんでは何やら話ばっかりして過ごし、ブログもすっかりサボってしまった。読者諸氏には申し訳ございませーん。

事始まれば、ついには終わりが。あっと言う間に3週間が過ぎ帰国の途に就くと言うので、博多に前泊するのに乗じて送っていこうとなった。
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福岡は時々訪ねてはいるが、熊本とは比較にならない発展ぶりで、若いころ住んだ記憶ではやっと方角が分る程度。都市高速のドライヴウェイに入ると大変な緊張で、標識頼りに姪浜迄一機に走った。目的があったわけでもなく、「能古島行ってみる?」と思い付きで艀に乗り込んで短い船旅?を楽しんだ。 「大きな都市のすぐそばにこんな長閑な小島が在るのは何とも言えない風情だね」と足を組み替える間もなく到着。
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イベントがあったらしく港は折り返しの便に並ぶ人の大行列。数百人をあんな小さな艀で?と言ってるうちにいつの間にかのみ込んで岸を離れる。遅い昼食に何軒か並ぶ食堂の中から、私らにぴったりの、ひらがなで「みなと食堂」と古めかしい看板の店に入り刺身定食などを頂いた。すぐそばで初老の男性らが次の便までもう一本と註文を追加する。ほろ酔いの仕種に羨ましいねと顔を見合す。檀一雄氏縁の地でもある。(檀ふみさんの父上で小説家、料理本には大変お世話になった)いつか一泊で行きたい。
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その夜は初めての中州に繰り出した。川沿いの道をどの店にする?とチラチラ覗きながら、「ウーン高そーとか食べたいの何?」と言いながら歩くうち見覚えのある櫛田神社の通りに出ていた。宿から離れてタクシー拾う距離でもなく歩いて帰るにはきついしなど溢すうち目の前の居酒屋に決めようとなった。たらふく食べてもつ鍋で〆、チョット酔って、宿まで戻ると玄関に猫がお出迎え。

その宿というのがやたらとレトロで昔料亭だったらしい面白い造り。今度はスポンサーの夫をこんなとこに泊めて
中州のナイトライフもいいなあと妹。一軒置いた隣にも良く似た料理旅館がある。いつかのために看板をパシャリ。3人とも高いびきで、朝までぐっすり。よき思い出の一夜となった。20191103a

写真上から/思いつきでネットで予約のレトロな宿/玄関に出迎えた(=^・・^=)/能古島のみなと食堂にて/中州を歩くと櫛田神社に/ 翌朝たずねた糸島の海岸、11月にサーファーは草履を脱いで海の中!

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