師走に入ってすぐ母が不調になり入院となった。程なくして別の大きな病院に転院が言い渡された。始め急変など予測もせず一週目に一日さぼって見に行かなかった。翌日母は、「一時でん寄ってくるっと安心する。」といった。私はそんな要求をする母が妙だとは思ったが、分かったと適当な返事をして帰った。その後に思い起こせば、「後ば頼んどくね」とも言っていた。この二つの言葉が母の最後の言葉となった。今、昼夜交代で再帰国してくれた妹と母の枕辺についている。意識を無くして4週が経つ。医師は脳梗塞の2度目の発作になった時気付いて急遽転院、既に昏睡状態で再帰は見込めないと宣告を受けた。もう耳元で懺悔のような言葉を一方的に投げかけるだけの日々だ。
肉体が微かな生体反応を示しモニターに波形を表示する。思い出や慈しみに涙し、いつかくる時を、恐れと共に手放そうと言う思いで過ごしている。
齢86、良く生きてくれた母、働き者で家族を支えてきた辛抱強い女性だ。もう休んでいいよって、多分この昏睡状態は休み損ねた時間を今取り戻してるんだと。感謝してるの一言も伝えぬまま、寝息だけが口元を膨らます。
余力があったら、87歳の誕生日が年明けるとすぐだ。
親しかった近所のkさんが84歳でつい数日前に逝かれた。連れ立って同じ船出になるのかとも思う。
長い間元気に居てくれてありがとう、お母さん。
写真2は母の為のクリスマス挿花、家の庭から採取。それぞれに思い出がある。
月桂樹の枝は、テレビで見た葉っぱ産業のお年寄りの活躍に習って、近くの物産館に出荷したことがある。ビニール袋に30枚くらいも詰めた格安のローリエが売れたってと再注文に喜んでいた。
スウェーデンに娘と孫の顔見たさに言葉も出来ないのに独りで会いに出掛けたりもしていた。
いつかくるその時、心構えって?
まずは明日87歳の誕生日を祝ってあげようと思う。
写真1は病室からの朝焼け、もう母が自分の目で見ることはない。写真3と4 :妹作 母の肖像と母に食べさせたかった田舎料理
肉体が微かな生体反応を示しモニターに波形を表示する。思い出や慈しみに涙し、いつかくる時を、恐れと共に手放そうと言う思いで過ごしている。
齢86、良く生きてくれた母、働き者で家族を支えてきた辛抱強い女性だ。もう休んでいいよって、多分この昏睡状態は休み損ねた時間を今取り戻してるんだと。感謝してるの一言も伝えぬまま、寝息だけが口元を膨らます。
余力があったら、87歳の誕生日が年明けるとすぐだ。
親しかった近所のkさんが84歳でつい数日前に逝かれた。連れ立って同じ船出になるのかとも思う。
長い間元気に居てくれてありがとう、お母さん。
写真2は母の為のクリスマス挿花、家の庭から採取。それぞれに思い出がある。
月桂樹の枝は、テレビで見た葉っぱ産業のお年寄りの活躍に習って、近くの物産館に出荷したことがある。ビニール袋に30枚くらいも詰めた格安のローリエが売れたってと再注文に喜んでいた。
スウェーデンに娘と孫の顔見たさに言葉も出来ないのに独りで会いに出掛けたりもしていた。
いつかくるその時、心構えって?
まずは明日87歳の誕生日を祝ってあげようと思う。
写真1は病室からの朝焼け、もう母が自分の目で見ることはない。写真3と4 :妹作 母の肖像と母に食べさせたかった田舎料理