2013年09月

Sweden の家庭料理
スモークサーモンとジャガイモのクリーム煮 焼きにしんとマッシュポテト               blg se31sp      典型的なスウェーデンの家庭料理はソテーかオーブンで焼いた肉魚と茹でたジャガイモをメインに、温野菜を添え、生クリームベースのソースがたっぷりかかっており、それに謙虚な塩味がついている。

つくづく伝統料理が住民に与える影響の強さに感心する。 現地人たちは痩せていても骨格が頑丈で肩幅と腰幅が広く、小顔で長脚、遠目にはスラリとして見えるが、近づくと衝立で塞がれた様な圧迫感がある。彼らと立ち話をするときはコンスタントに相手を見上げねばならない為首がコルので手短に切り上げることにしている。 しかし、座るとなぜか顔の高さが同じ位置に来るから不思議だ。今もって理由がわからない。     
スペイン風 ムール貝とエビのオリーブオイル焼き   
blg31se1話は逸れたが、このところ、移民の増加に伴い料理の種類も複雑多岐に及び、本来、猫舌薄味の皆さんが今では飛び上がるような胡椒味、生魚、むせ返るようなニンニク料理を平気で食べるまでに進化した。 性格的にも無口で温和から脱却し、メリハリが出てきたような気がする。

近年は南欧や中近東、アフリカからの移民の増加で本国人も一緒になって南国風の料理を良く食べ、赤ワインを頻繁に飲むせいか性格的に軽薄で楽観的、感情表現もできるようになった。国全体が20数年前に比べずいぶんリラックスムードだ。                  和食も時々blg31sptse
人口僅か900万人の小国でありながら人種のるつぼと化した環境にあって、我が家の周りも自分を含め外国人だらけだ。先日隣のシャーロッタ(亭主はイタリア人)にすしの作り方を伝授する機会があった。長年住んでいてもお互いにやはり母国の味をアピールしたいものだ。これについては次回にお話ししたい。




戸井十月の指は長く、繊細だった。大型バイクにまたがり、炎暑と酷寒と砂塵の五大陸を駆け抜けてきた男の手には見えなかった。臨終のとき、私はもう一度その手を握った。私が知っている不安げで神経質な十月に、いい旅を、と言うために。(朝日新聞2013年9月15日10版P9転載 吉岡忍氏寄稿 写真は2009年ユーラシアから帰国時)
P1020957
私(筆者)は戸井氏が亡くなったことをこの欄を見るまで知らずにいた。読み始めて何故過去形?と、、、、。7月28日肺ガンで旅立たれていた。(享年64)

偶然、TVで先日もユーラシア大陸横断の録画を目にし、これ前に見たよねと言いながらまた見たのが追悼番組であったらしい。ポルトガル ロカ岬をを出発してイスタンブールを経由し中央アジアに入りロシアを経て日本に入る3万キロに及ぶ走破の記録は淡々とした、むしろ起伏に乏し過ぎる画像に見えた。

しかし、見終えて妙に印象に残るライダー目線。煙ったような画面(排ガス?)、乾いた草の続く舗装の境目のない長い道、遠い山々、雪に阻まれて進めない轍の痕跡。ひたすら走る旅。

「もっと街の様子、人の暮らしを描いてほしい」と寄せられたFAXに届いた返事には「おれはいま、自分の旅の仕方を作りながら走っている。余計な批評はしないでくれ」と殴り書いてあった。と。

それでだったか。氏の意図が記録を並のものにしなかったのだ。30年前にライダー向け雑誌の紀行を読んで、変わった名(トイトツキ?/トツキトウカ?)と、バイクで旅して文作を載せて喰えるなんて悔しい兄ちゃん、と記憶に留め置いた。

 夫に知っとったーと言うとエーッ。二人して早すぎるライダー仲間?(全く面識どころか一方的意識)の旅立ちを惜しんだ。誰にでもは真似出来ない彼の人生に、もう満足であろうと神が手を繋がれたのだろう。

次の日曜はまだ十月にならないが、3人でジュウガツツーリングである。山の上のオジサンライダーのもとへ行き、十月氏の話をしよう。「知っとんなはっですか?」と。

スウェーデンは8月も半ば過ぎると急に涼しくなり、1ヶ月に及ぶサマーホリデー中の活気も失せ軽い空虚感に見舞われるのが常だ。夏至祭りを過ぎた頃からすでに折り返し地点に来てしまった落胆を振り払い、その後にやって来る休暇で、如何に計画したレジャーのノルマを達成出来るか躍起になる。心身的にも経済的にも疲弊し、休暇後の離婚率が急上昇するのも毎年のことだ。南スペイン
南スペイン(Malaga)の乾いた丘陵地帯とCosta Del Solクルーズ南スペインクルーズ
待ち焦がれてやっと来た夏もあっという間に過ぎ去り、今では懐かしい。7月の頭に、亭主と二人観光でごった返す灼熱の南スペインで2週間過ごしたが、帰国後のんびりと過ごした家族との穏やかな日々の方が今では心に残る。

特に7月末のヨータ運河クルーズ(所要日数5日)のミニクルーズ体験は改めてこの国(スウェーデン)の自然の豊かさと解放感を思い起こさせてくれた。西のヨーテボリから三大湖を繋ぎストックホルムまで続くこの運河は水位の異なる場所で船を移動させるために58の水門を持つ。純白の2階建汽船は穀倉地帯を切裂いて築かれた運河の鮮やかなコバルトブルーの水面を滑るように進む。デッキで飲んだビールの味は格別だった。Göta 運河
GOTA運河ミニクルーズ

それからしばらく経って義弟のボートで早朝サバ釣りに出た。3人で7尾という成果は今ひとつであったが、気長に獲物を待つ間、サンドイッチとコーヒーの朝食を取り、積もる話をし、海鳥を眺めた。 

レジャーのノルマを課さず、のんびり過ごした我が家では家庭不和にも至らず今も平和に暮らしている。

義弟マーティンの釣果義弟のマーティン

CR8285月の訪問者というタイトルに登場した甥が、再来熊したので御守役の私は、エレキバンドの元祖ヴェンチャーズを聴きに連れて行った。ホールの前はアラ60かもと思しき中高年の行列。「ボクガイチバンワカイ?」 

 が、演奏が始まると往年のVサウンドに大盛り上がり。オジサンバンドなら、、、と期待してなかっただけに驚きだ。最後尾に近い空席に移動して、甥と二人奇声と指笛で応戦。重低音のエレキの音が体を直撃。イヤーのっちゃったねー。チョット懐かしい快感だった。(昨夜NHKの特番でリーダーが80歳と知り驚愕)V2013tour

件の甥はというと、6月末からアジア諸国ツアーに出て入国したばかりだったが、ヴェトナムのハノイでは携帯をひったくられ、酔っぱらって戻ったホテルノロビーで飲んだペットボトルの水?では下痢を起こし、福岡空港入りする時の所持金は1000円切ってるとEMERGENCY(緊急事態)メールをよこした。彼の名はCRで略するがERの方が当たってるねと母親(在SWEDENの妹)と話したことだ。

しかし、いつも前向きで楽天家なので何処でも居ないとさみしい。空港からの到着時刻をミスして30分早めに下車し、結局私のレスキュー着払いも間に合わず、乗り合わせたかわい子ちゃんにチャッカリバス代を借用の上、返却デートまで取り付けていた。(テケテケなパフォーマンス)

もうすぐ23歳の誕生日を迎える。Vライブのチケットとささやかなスペイン食堂でのディナーをお祝いにした。遠慮がちに、「誕生祝いならデザート追加していいですか?」 ヴァニラにオリーブオイルを掛けたチョット不思議な味を楽しんだ。数日を残し京都の大学に入るので、今は祖父母孝行で退屈な日々を悪天候任せに凌いでるようだ。もう夏も終わる。{写真縮小テクなしで見辛く申し訳ないです。ゴムぞうりにお気に入りTシャツの甥とアラ60群団?開演待ち中}

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