先月からアートに縁が繋がった。実家の法事客のA氏から集落の区長を仰せつかってたら、何かとお役目が回り来てねえ。「お宮さんに古い板絵があったの覚えとる?」「あー、夏休み掃除に行って皆で終わった後、寝っ転がって見よった天井のとこに飾ってあったつ?」
こんな会話から、面白い縁がと彼の話が続いた。地震復旧で鳥居が再建され、予算が少し余ったから何に使おうと検討してたら、白けて色も悪くなったそれらの絵を修復するのはと。
プロの修復を依頼すると一枚で予算不足と判り、断念しかけたところに、個人タクシーをやってるK君が拾ったお客が昔中学で怖れられたSセンセーだったそう。もう高齢で好々爺のSセンセーがその話に一役買って下さり、そのコネでK高校の生徒たちに繋がり、画材など実費で80万程の予算内で10枚近い絵が見事に復元されたのだそうだ。K高校の父兄の中にTV局の人がいて取材申し込みがあり「俺テレビに2回出たー。」
急に、そのお宮の板絵(大和絵の一派と思う)を見に行こうとなった。過去に来たのが何時だったか。未だ暑い昼下がり、法事席の礼服のまま直行すると、待ち構えていたような蚊の襲撃。夫が足の蚊を払ってくれてる合間に天井の4面に向かってカメラのシャッターを切った。
もう一つは、新聞にも載った、普段から親しいM夫妻の父上の卒寿記念の個展が郷里の内牧で行われた。
店にも案内を頂いて、開催日取りを待ち、秋の阿蘇ドライブと友人を誘って出かけた。郊外の気取りのないスペースに大作がずらり、大盛況である。
聴けば坂本善三先生に手ほどきを受けたあたりからとかなりのキャリアで、80歳から抽象に転じたと。どこか善三先生を彷彿とさせるものもあった。「先生のご子息のA氏と仕事したことあります。」「はーそーな。まだ高校生だった。そんころは。」
またもや好々爺出現。お歳乍ら整った風貌と違ってやたらと気さくで、大勢の昔仲間に囲まれて楽しげだった。M夫妻に「この前まで入院されてたと思えない元気さで、、、?」「いやーこれの開催で元気づいたんですよ。」 秋の阿蘇路を堪能する間なく、引き返したのは残念だったが短いながら心満たされた時間だった。
こんな会話から、面白い縁がと彼の話が続いた。地震復旧で鳥居が再建され、予算が少し余ったから何に使おうと検討してたら、白けて色も悪くなったそれらの絵を修復するのはと。
プロの修復を依頼すると一枚で予算不足と判り、断念しかけたところに、個人タクシーをやってるK君が拾ったお客が昔中学で怖れられたSセンセーだったそう。もう高齢で好々爺のSセンセーがその話に一役買って下さり、そのコネでK高校の生徒たちに繋がり、画材など実費で80万程の予算内で10枚近い絵が見事に復元されたのだそうだ。K高校の父兄の中にTV局の人がいて取材申し込みがあり「俺テレビに2回出たー。」
急に、そのお宮の板絵(大和絵の一派と思う)を見に行こうとなった。過去に来たのが何時だったか。未だ暑い昼下がり、法事席の礼服のまま直行すると、待ち構えていたような蚊の襲撃。夫が足の蚊を払ってくれてる合間に天井の4面に向かってカメラのシャッターを切った。
もう一つは、新聞にも載った、普段から親しいM夫妻の父上の卒寿記念の個展が郷里の内牧で行われた。
店にも案内を頂いて、開催日取りを待ち、秋の阿蘇ドライブと友人を誘って出かけた。郊外の気取りのないスペースに大作がずらり、大盛況である。
聴けば坂本善三先生に手ほどきを受けたあたりからとかなりのキャリアで、80歳から抽象に転じたと。どこか善三先生を彷彿とさせるものもあった。「先生のご子息のA氏と仕事したことあります。」「はーそーな。まだ高校生だった。そんころは。」
またもや好々爺出現。お歳乍ら整った風貌と違ってやたらと気さくで、大勢の昔仲間に囲まれて楽しげだった。M夫妻に「この前まで入院されてたと思えない元気さで、、、?」「いやーこれの開催で元気づいたんですよ。」 秋の阿蘇路を堪能する間なく、引き返したのは残念だったが短いながら心満たされた時間だった。