2017年10月

P1050675P1050678P1050652P1050660P1050655先月からアートに縁が繋がった。実家の法事客のA氏から集落の区長を仰せつかってたら、何かとお役目が回り来てねえ。「お宮さんに古い板絵があったの覚えとる?」「あー、夏休み掃除に行って皆で終わった後、寝っ転がって見よった天井のとこに飾ってあったつ?」

こんな会話から、面白い縁がと彼の話が続いた。地震復旧で鳥居が再建され、予算が少し余ったから何に使おうと検討してたら、白けて色も悪くなったそれらの絵を修復するのはと。

プロの修復を依頼すると一枚で予算不足と判り、断念しかけたところに、個人タクシーをやってるK君が拾ったお客が昔中学で怖れられたSセンセーだったそう。もう高齢で好々爺のSセンセーがその話に一役買って下さり、そのコネでK高校の生徒たちに繋がり、画材など実費で80万程の予算内で10枚近い絵が見事に復元されたのだそうだ。K高校の父兄の中にTV局の人がいて取材申し込みがあり「俺テレビに2回出たー。」

急に、そのお宮の板絵(大和絵の一派と思う)を見に行こうとなった。過去に来たのが何時だったか。未だ暑い昼下がり、法事席の礼服のまま直行すると、待ち構えていたような蚊の襲撃。夫が足の蚊を払ってくれてる合間に天井の4面に向かってカメラのシャッターを切った。

もう一つは、新聞にも載った、普段から親しいM夫妻の父上の卒寿記念の個展が郷里の内牧で行われた。

店にも案内を頂いて、開催日取りを待ち、秋の阿蘇ドライブと友人を誘って出かけた。郊外の気取りのないスペースに大作がずらり、大盛況である。

聴けば坂本善三先生に手ほどきを受けたあたりからとかなりのキャリアで、80歳から抽象に転じたと。どこか善三先生を彷彿とさせるものもあった。「先生のご子息のA氏と仕事したことあります。」「はーそーな。まだ高校生だった。そんころは。」

またもや好々爺出現。お歳乍ら整った風貌と違ってやたらと気さくで、大勢の昔仲間に囲まれて楽しげだった。M夫妻に「この前まで入院されてたと思えない元気さで、、、?」「いやーこれの開催で元気づいたんですよ。」 秋の阿蘇路を堪能する間なく、引き返したのは残念だったが短いながら心満たされた時間だった。

スエーデンの文学評論家の間で今年度のノーベル文学賞受賞候補にイシグロ氏の名前が全く挙がっていなかったため、スエーデンアカデミーの担当者の口から氏の名前が発表された瞬間、現場に詰め掛けた報道陣は慌てふためいた。ちょうど私も自宅のテレビでこの模様を見ていたのだが、実にゆっくりと事の重大さを理解し嬉しさが込上げてきた。
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名前の響きから日本人と察せられるが、幼少の頃に海洋学者である父親の仕事の都合で家族で英国に移り住み、その後現地で教育を受け帰化したという背景から、ヨーロッパではずっと英国人作家と認識されてきたように思う。私が初めて氏の名前を見かけたのは1990年ころだろうか。1989年に英国で最も権威ある文学賞、ブッカー賞を受賞したKazuo Ishiguroの紹介の記事が新聞の文化欄にでかでかと載ったのである。興味津々で本屋に走り氏の作品を探した。当時はまだスエーデン語の翻訳本はほとんどなく、やむなく英語版を一冊買って帰り、亀の這うようなスピードで長い時間かけて読んだ記憶がある。それがどうも"The remains of the day"(邦題:日の名残り)だったようだ。なんとなく内容を覚えていて、数年前に日本に行ったとき古本屋でその日本語訳を求めて持ち帰った。この夏にドライブ旅行中感動した英国南部の田園地帯の美しさをブログで伝えたいと四苦八苦していた時に閃いたのがまさにその「日の名残り」の一節で、その一部を引用させてもらった。
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 氏の作品のいくつかは映画化されており、「日の名残り」も英国の名優アンソニー・ホプキンス主演で気品あふれる階級社会の英国を描き出している。更にヨーテボリ国際映画祭に出品された "Never let me go" (邦題:私を離さないで)は臓器移植のために特別施設で創られたクローンの子供たちの成長の過程が描かれており衝撃的だった。この作品は最近日本人俳優によるリメイクが上映されたと聞いている。

作者名を見ずに作品を読めば、村上春樹氏同様、まったく日本らしさを感じさせないとはよく言われる。イシグロ氏の場合は更に、よくここまで英国らしさを表現できるものだとの英国人読者の意見である。氏の作品のすべてを読んだわけではないが、私の知っている作品の中では、時間がゆっくりと丁寧に過ぎていき懐かしさを醸し出すような雰囲気が漂っている。登場人物の人格やしぐさ、思いが細やかに平易な言葉で表現され、文章としては読みやすいといわれるが、その背後にある何層にも折り重なった深い意味を感じ取ることで、それぞれの作品が読者に強く訴えかけてくる。
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イシグロ氏の日本での知名度はそれほど高くないようだがノーベル賞受賞を機に日本語訳が増えるに違いない。読書の秋到来、さっそく読んでみられてはいかがだろうか?

17octbg6朝晩が冷え込む季節になり、金木犀の香りが漂い始めた。深刻なテーマを取り上げた後は、閑話休題のような呑気さでいくかな。

先月上旬、市内のホテルで「鯨料理を楽しむ会」なる催しに参加した。グリーンピースや鯨を守る団体から襲撃されかねない催しだが、熊本の田舎でこっそり愛好者らが毎年一回行う会には総勢100名ばかりの参加者がいて、県外からの出席者も結構な割合だった。
17octbg5大学の先生で調査捕鯨の一員だったり、長崎で鯨の食文化を守る会を主催する人などが基調講演を行って、「みなさん今後も鯨を食べましょう」と乾杯。 この号を読む方の中にも顰蹙を買うことになるか?

氷川町の40歳の男性は、レンコン農家を営み食への関心が一方ならぬ風だった。隣席のオバサマ方はお稽古事仲間だそうで、とても愉快に話を盛り上げてくださった。鯨のオノミ、ハート、レバーいろんな部位の料理が次々と運ばれ、回転テーブルから一人前をよそっては回す。

「とても美味しいですね。」口々に笑みを浮かべて、いつもは飲まないんですけどと言いつつ日本酒にも手を伸ばしてみたり、、、、。

アトラクションで呼ばれていたのは花童という日本舞踊の会で、美しい衣装をまとい最近では見る機会もなかったので、こんなに美しい文化をと感動しきりだった。今年で19回を数える会、来年20回を是非と気炎が上がったところで散会となった。
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捕鯨については異論も多い昨今だが、古来からある日本の食文化。何でも世界の流れに合わせることはないと思う。少し前もTVで鯨を追って暮らすインドネシアの村の暮らしが放映されていた。2000人もの人を一頭のクジラで養っているという。
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自分たちと違う食習慣を野蛮と見下すか、それぞれの価値観で相手を認めるか、そこで共存を探る道筋が分れる。 東アジアがかつてない緊張に包まれる時、日本はどんな選択が出来るんだろう?17octbg7

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